函南助教授の音遊び

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ネット上での音楽性批判やめませんか?

どうも!函南助教授ことカンナミユート(@yuuto_kannami )です。

ネット上での音楽性批判やめませんか?

今やネットで情報が簡単に発信出来てしまう時代! 音楽をやっている人の中には、LIVEやCDの宣伝等を、ブログやSNSで発信している人も多いと思います。今回は、それらの発信の中にある、他者への音楽性批判について、私の思うことを書いていこうと思います。

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目次

誰にだって好き嫌いはある

音楽をやっている人のブログやSNSを見ていると、たまに目につくのが、「俺はあのバンド嫌いなんだよね!」とか「私はこうゆうジャンルの曲って嫌いだから聴かない!」などの、嫌いなアーティストへの音楽性批判です。

私にも好きじゃないアーティストくらいいますし、極端に行ってしまえば、耳にするだけで嫌な気分になるアーティストなんかもいます。そう、誰にだって好き嫌いはあるのです。また、それを思うのは個人の自由だし、それをブログやSNSに書き込むのも自由です。

しかし、自分の音楽活動を宣伝する場で批判発言をすることのデメリットについて考えているでしょうか?

批判発言はマイナスイメージしか生まない

まず、基本的に批判的な発言をすることによって、自分が得られるものはありません。発言をした一瞬はスカッとしたり、中には賛同してくれる人が現れるかもしれません。しかし、読んでくれる大抵の人の心には、マイナスイメージが植えつけられてしまいます。

逆の立場になって考えてみましょう。自分の好きなアーティストを批判している人の曲を聴こうと思うでしょうか? ほとんどの人は聴こうとしないはずです。仮に聴いたとしても、確実にそのアーティストと比べられて、「こいつの曲の方がよっぽどダメだ」と思われるのが関の山です。そもそも、元々そのアーティストが好きなので勝ち目がありません。

特に、このような批判は、今売れていたり有名なアーティストに対してのものが多いように感じます。ということは、必然的にそのアーティストが好きな人達も多くいる、ということになります。つまりは、その大勢の人を一気に敵に回すような発言をしてしまっているということです。

この大勢の中には、自分の曲を好きだと言ってくれる人もいたはずです。しかし、聴いてくれなかったら意味がない。ただただ、可能性を潰してしまったということになります。

大抵の批判発言は嫉妬から来ている

先ほど、「批判は、今売れていたり有名なアーティストに対してのものが多い」と書きましたが、これはほとんどの場合、自分よりも有名だったり人気ということです。

これが何を示しているかというと、答えは簡単、嫉妬です。批判や陰口、嫌味などの負の感情は、大抵嫉妬から生まれているのです。おそらく批判をしている人は、心の奥で「私の曲はこんなに良いのに評価されない! なのに、なんでこんなクソみたいな曲が世間で評価されているんだ!」と、こう思っているはず。

どんな書籍も、ネットの記事を読んだって、嫉妬や批判について好意的な意見が書かれていることはありません。嫉妬や批判ばかりしていると、周りから「あいつは面倒な奴だから距離を置こう」と思われるのが関の山ですね。

それでも批判したいならとことんやれ

出過ぎる杭は打たれないなんて言葉があります。例えば、oasisのリアム・ギャラガーは、過去にこんな批判(というか暴言)を吐いています。

コールドプレイとレッド・ホット・チリ・ペッパーズは俺からしたら同じだ。どっちもヘナチョコ野郎専門の音楽さ。あんなの聞いてる連中はケツにマリファナ突っ込んで抜けなくなるマヌケ野郎だ。俺はケツでマリファナ吸うような真似は死んでもしないね

リアム・ギャラガー

どうでしょうか? 清々しいくらいの暴言ですね。oasisのギャラガー兄弟は、このような発言を多々しています。当然、批判も浴びるでしょうが、逆に行き過ぎてるので、今では、それを面白がる人が大勢います。多くの行き過ぎた発言のせいで、「リアムだからしょうがない」と周りに認知されるようになってきたのです。

炎上商法なんかもこれに近いですね。ただ、この方法にはファンと同じくらいアンチもできてしまうので、そこらへんは注意が必要ですね。

カンナミユート

函南助教授のあとがき

さて、いかがだったでしょうか? もしも、これを読んでいる人が、今までネット上で他者に対して批判的な発言ばかりしてしまっていたとして「逆にこんな風に思われていますよ!」ということを書いてみました。これを読んで改めるかどうかはあなた次第。

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